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ガキ大将スクール現在までの経緯
 
[1]ガキ大将・スクールを始めた動機

 1970年〜1980年にかけて、マスコミは校内暴力や様々な子どもの問題を取り上げていました。私たちが、たまたまそのことについて話しているときに、グループの中の一人が、その原因は子どもが自然に接しなくなったことと、ガキ大将グループの消失にもあるのではないか、といい出しました。そういえば私たちが子供の頃、いくつものガキ大将グループがあって、その中で、縦割の人間関係や社会のルールなどを学んでいたんだなあ、という話しも随分出てきました。
 だったら、子どもたちを自然の中に放りこんで、ガキ大将学校を開いたら面白いじゃないか、という声が出て、ではやってみようということになりました。そして、多少悪いことをやってもよい、そのかわりその始末を本人にさせる、期間中何らの規制も加えない、けがをたくさんさせる、というスクールの骨格ができあがっていきました。
[2]上野村でガキ大将・スクールを行うようになった経緯

 ガキ大将学校をやってみたいという考えが固まった後、ではそれを一体どこでやればいいかという点について議論が行われました。その結果、群馬県で自然が一番豊富であり、今後その自然が破壊される恐れがない場所として上野村が最もいいのではないかということになりました。
[3]ガキ大将・スクールを作ったきっかけ

 1970年代後半から、ユース・ホステルの会員だった若者達が、群馬県ユース・ホステル協会に出入りして知り合い、意気投合して作ったのが“ガキ大将・スクール”という団体です。25年前、群馬県の観光キャンペーンで最大のイベントだった「上州筏利根川下り」を行ない、その後、利根川での筏下りの大会を創設しましたが、ガキ大将・スクールの運営に力を入れるため、同大会は第3回をもって他団体に開催権を委譲し、現在はガキ大将・スクールを主催するガキ大将・スクールというイメージで知られています。

 また、ガキ大将・スクールは、昭和60年、財団法人日本ユース・ホステル協会から全国で初めて「研究指定グループ」の指定を受けました。
ガキ大将・スクールは、群馬県ユース・ホステル協会の協力団体として、ユース・ホステル運動の一翼も担ってきました。
[4]ガキ大将・スクールの支援者・協力者

 これまで、ガキ大将・スクールは数々の危機に見舞われました。財政的なものがいちばん大きいわけですが、スクール運営上、困窮したこともたびたびありました。そんなとき、資金の援助をしてくれ、アイデアを提供してくれ、各種交渉を引き受けてくれ、また自らスクールのお手伝いをしてくれたりと、大変大きな支援活動をしてくれた人たちが数多くいます。そういった支援・協力のおかげで、今のガキ大将・スクールが存在しているわけです。そして、その中からガキ大将・スクールのポリシーが生まれ、育ってきました。いわば、ガキ大将・スクールの基礎を作り上げたのは、これらの支援・協力者の方々だと言えると思います。こんなにも沢山の支援者・協力者が生まれてきたのは、ガキ大将・スクールが、これらの人たちの理想、「人間らしく生きる」というポリシーを持っていたからだと思います。ガキ大将・スクールは、今後もこの人たちや参加者、保護者の方々とともに成長しなくてはならないと思います。
 
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