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飯ごう飯の正しい炊き方
 
鈴木基司(みどりクリニック院長)  [アドベンチャー集団Do!・メディカルアドバイザー]

 群馬町で一般小児科、小児心療内科を開設しています。平成15年度の心療内科の初診者は男子141名、女子96名の237名。その中で身体愁訴が続き、不登校や保健室登校状態の子が約7割、他に摂食障害や強迫症状がありながら勉学や部活に励む子もいる。多動や集中持続困難、理解しがたい行動が認められる子が2割ほどです。

 行動がある一定程度を越えると、発達障害と診断されたりしますが、その境界線などはもともと曖昧なもの。対応する人とその子どもが、共に「楽になる」という視点で考えたい。「楽になる」ためのドクターストップのように、医療の役割が担えればと思っています。また、問題行動といっても明確なラインで区切れないところがあり、また、その子どもに対応する人の力量とか、資質のようなものと、その子どもが持つ特性との組合せにより、問題となったりするものです。

 心と身体は相関があります。子供は大人より心身が一如です。ストレスなどの負荷から、交感神経と副交感神経のバランスがうまくいかなくなると、交感神経が活性化しすぎて不眠になったり、副交感神経が働きすぎて消化器官に不調が起きたりします。

 ストレスへの反応として、行動化と症状化をとりながらやり過ごすのですが、行動化が顕著だと、拒否、逃避、攻撃行動などの問題行動に至ります。子どもの場合、未成熟だったり大人の過剰な期待から、度を越えやすくなります。

 また、あきらめや結果を出さなくてはいけないという強い思いこみなどから、症状化が強いと、自律神経失調症状として、ホルモンバランスの乱れなど心身症的状態に向かいます。行動化を取らないタイプの子どもが、やがて身体愁訴を訴えたりすることが多いようです。

 子どもはやがて社会に適応していかなくてはなりません。自立すること=適応すること、このことを子どもひとりひとりに保障しなくてはいけない。

 不登校の子どもの2/3が、大人から「手のかからない子、問題のない子だった」とされます。適応状態が良好な生育歴がうかがわれますが、育てる側との関係における双方向性の保障はどのようになっていたのでしょう。

 つまずいた「石」は、大人にとって「何でこんなことで」と思うことも少なくありませんが、それは大人の受け止め方です。その子どもにとって、「何が足りなかったのか」を考えると、人として重要なことが足りてなかったりします。

 子どもが育つということを、ヒトの発達としてイメージすると、被保護状態から自立へ至る過程になります。「依存」(甘え)から「自立」という環境への適応と見ることができる。

 ヒトは生まれて、身辺処理能力や言語化・表現能力、感情抑制、相互交流能力などの社会的適応能力を身につけていきます。そこでは依存と自立の間をある程度のバランスをもって高められていくことが望ましい。

 この過程でのバラツキは「個性」とされるが、振り幅が大きいと保護過多傾向と自立過多傾向(過剰適応傾向)という生育歴の偏倚にまで振れたりします。

 幼児期の第一次反抗期や児童期のギャングエイジ、思春期をむかえる第二次反抗期などは、依存と適応のバッティングの時期であり、ストレスを伴う精神的な成長に関連しています。躾や教育の中で、依存とぶつかりながら程良いところを覚えていく時期です。

 子どもが人前で甘えなどの、程良い出し方を覚えることが「発達」ともいえる。最終的には「自立」して、家庭を持つことになります。

 昔は、子供同士生身のぶつかり合いの中で痛みも伴って学んでいました。しかし、今は少子化等もあって、大人の目が行き届く集団の中で子供社会が形成されている。結果的に、表面上あまりぶつかりがない状態であるといえる。そのような状況では、甘えを出さない子=いい子が必然的に生まれてくることになります。

 「自己」を構成する要素には、エゴ的なエネルギーに裏付けられた「依存」と、関係性や社会・文化に規定された要素があり、こちらは社会的「自立」に関連しています。前者は、性も含めた生理的レベルでの快不快の原則にしたがっていて、後者は大脳皮質の機能による。

 社会で生きていく以上、ストレスがかかることは必然です。そのストレスは依存できる家庭で表出する。ストレスがかかったときには「受け止め役」が必要(主に母親が担うことが多い)となります。

 先程のように、二つの要素の対立がない状態は、「依存」が抑制されている自我形成であって、大脳皮質レベルでの「適応(自立)」が勝っている状態ともいえます。

 ところで、依存や甘えが出せなくても、ヒトは属した共同体(集団)の価値基準に影響された、前頭葉レベルでの快不快原則をもっています。

 意欲・達成感といったものがそれであり、これは依存を代償することができる。その子どもの能力が高ければ高いほど、よい結果(学習など)を出し続け、前頭葉からの快感情を元に何とかやっていけてしまう。しかし、人間関係など、つまずく「石」はいろいろな場面にある。「エリート」としてやっていけてしまう人もいるが、とても危うい状態といえます。

 人間は、もともと依存を強く植え付けられている動物です。

 他の動物に比べ、非常に早産の状態で生まれてくる人間は、不快→泣く→快を与えられるという原初の共生を一年近く続ける。不安をかかえ、他者を必要とし、他者に認めてもらいたいという社会的な動物です。

 であるが故に、自己の各要素がバランスをとって形成することが安定につながるのですが、大人は「早く」自立する子が「良い子」としてしまう。このことが「手のかからない子」の辛さを助長してしまう可能性もあります。

 皮肉だが、できる子ほど過剰適応に近い状態になりがちであるということ、結果的に、失敗体験と支援の反復による適応を繰り返すことなく、長じてから、乗り越えられない困難、思いどおりにいかない失敗体験で症状を出すような形で行き詰まったりしかねない。

 限定的で、人為的な枠内での達成体験に偏ることは、安定した自己形成を妨げることになります。思いどおりにいかない自然との対峙などで失敗体験を重ねること、野外体験などの外遊びは重要です。キャンプなどは、日常で抑圧されたものを発散する場にもなりますし、自然の中だからこそ、思うようにならない事態に自分自身で向かい合わなくてはならない。対立する相手が、仲間や親や先生ではなく自然であることから、人とのつながりによって、その対立を乗り越えるという体験ができます。

 より健康な自己形成のために、幼少期に保障しておきたいことがあります。

・依存的親子関係:社会的文化的評価、価値志向からの自由、感情を表出しあえる関係
・子供集団:大人の見方からの自由と抑制・叱られるまでの時間
・自然体験:自然の壁を経験、大人のフォロー、仲間体験
・達成感を保障する場と関係:自立は孤立ではないことです。


 これらが、意識しないと保障されがたい時代になっています。
 
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アウトドア読み物>発達への支援を要する子供(小児心療内科臨床から)